江戸時代から明治にかけての日本支配層の移り変わりについて
江戸時代の支配層は将軍家を頂点とした武家であった。しかし大政奉還と共に武家社会は崩壊する。武士は士族に降格された。また一部の大名家やその連枝(一門)を除き
士族とは名ばかりでなんの特権も持たなかった。支配層は"侍"から華族に移行する。
華族は勲功、公家、大名、奈良(特級僧侶)
神官、などに分類される。
彼らは官職や企業の重役などに就き、お互いの結婚を通してさらに力を強めていった。
2章 能力主義の幕開け
明治時代は江戸時代の様な封建制が濃い時代ではない。
資本主義の時代であった、
資本主義社会とは
"自分の能力に応じた地位"を得ることができる社会である。
つまり江戸時代やそれ以前と違うことは
自分の生まれた門地に左右されず
立身出世を果たすことができるということである。
その特質を生かし、教育熱心な士族や
教育資本の豊富な地主層から優秀な人材がたくさん出た。やがて彼らは出世し、爵位を経て華族社会に入る。そうした人々も
明治時代の支配層である華族を形成していった。また教育を受けた地主層などは地域で地方銀行や鉄道会社、電気会社などを設立し
地方社会を支配し、やがて中央の華族や
官職に就くものたちと婚約を交わし
さらなる支配を強めていった。
明治時代は学問をおさめていった人々が支配を強めた時代とも言えるだろう。