ohayou115のブログ

19歳一浪大学生

私の死生観について

私が辿り着いた世界解釈論は、唯識論であった。

纏めると、宇宙という存在は生命の悟達の為にあると言うものである。

死を迎えてから、その様な事を知るのは遅すぎる。人生の終わりにそれを知ってどうなるだろう?

その仕組みの基盤となるのは、絶対的阿頼耶識である。宇宙の全ては、この絶対的阿頼耶識から成立している。一つ一つの阿頼耶識は全宇宙である。祖先やそれから分岐した枝葉と共にある事を実感し、私達は愛されている事を実感した。毎秒、毎秒、人間、生物、無機物が時を刻むにつれ、宇宙は異なる阿頼耶識世界も変化しいく。阿頼耶識世界は、生命が肉を所有しない純粋意識の世界である。

阿頼耶識世界で記述された、幽霊や霊媒師の教えは、時折、現実界霊媒通信の様に齎される。それは、幻覚、幻聴なのではない。確かに存在する。勿論、その阿頼耶識世界には、自らの意識を記述する世界でもある。

因って、人の死後、現実界での意識が消滅した時、阿頼耶識世界に意識を移行させるのも必然である。阿頼耶識世界での自意識は、最初は自意識を保ちながらも、やがて全有機体の集合的無意識へと変化していく。

阿頼耶識世界という本源と自分が同じである事を確証した時に、実有世界に身を置きながらも解脱が完了し、実有世界における諸々の穢れや悩みを全て駆逐する。その真如は、子孫百世まで及び、如何なる富貴者たる者の幸福を凌駕する。後は、阿頼耶識世界たる本源を穢さぬ様、本源の幸福につながる強いでは自らの幸福につながる様に、善行や知識を重ね、死に因って、無限絶対の阿頼耶識世界に合致する事を待つのみ。後には、阿頼耶識世界が自分となる。阿頼耶識世界の主体は、最初には、自意識を保ちながら、様々な情報、知識に触れ、自らの意識を拡大して行く、しかしその極限となる時には、全てを忘れ、無我に入る。本源と合致せるのみ。