成功は、人間が日々追求し、欲しているものである。それは美貌かも知れぬし、名誉、金、栄典かも知れぬ。それらの全ては真善美しか揃わぬ阿頼耶識世界から起因している。
阿頼耶識世界は知識に溢れ、美しく、善く、真なる世界であるから、そこから生じた人間の小我はそれらを求めるのである。
それらと反対のものを出来るだけ、突き放しておきたいのは阿頼耶識世界という神から離れてしまうことを恐れるからである。
偽悪醜は、阿頼耶識世界とは正反対である。
醜女は人から嫌われてしまうが、それは阿頼耶識世界から来たる人間の小我に自らの小我を否定されることを阿頼耶識世界たる神に拒絶されていると錯覚せんからである。
成功を求めるのは良い。
しかしながら、成功は永久ではない。
美貌の女性は火事でそれを焼いてしまうかも知れぬし、金は泥棒に奪われてしまうかも知れぬし、その歴史的真理はある文書により覆されるかもしれぬし、成功が幸福とは限らない。それゆえに、我々は永久至福かつ永久に真善美が保証される阿頼耶識世界を知覚せんとするべきである。すると、
実有世界における小我も満たされるやもしれぬ。
人が欲するものは全て阿頼耶識世界から生じているかも知れぬ。
美貌は、阿頼耶識世界の見目麗しい景色を忘れんが為の窓かもしぬし、賢き頭への尊崇はは、知識で溢れる阿頼耶識世界を投影しているのかも知れぬ。また巨大な肉体や建造物に憧れるも、全宇宙に等しい阿頼耶識世界の広大さをそこに見出しているためかも知れぬし、富裕者には広大な土地や可能を多くする術をもつゆえに完全無欠の阿頼耶識世界を思い出しているかも知れぬ。貴には阿頼耶識世界の尊貴性を思い出していることであろう。
"成功"を否定してはならぬ。なぜなら人が憧れるに相応しい、正当な理由がある故に。
人々は阿頼耶識世界に近づく努力を実有世界で成すべきである。
それゆえに"成功"に近づく努力や阿頼耶識世界的性質を獲得することを惜しんではならぬ。
しかしながら、最も大事なことを忘れてはならぬ。それは善である。
阿頼耶識世界は善で溢れかえっているし、阿頼耶識世界第一の性質は善である。
それゆえに人々は阿頼耶識世界を思い出すようにして善を行うべきである。
そうすると、幸福に近づくやもしれぬ。
阿頼耶識世界の性質と同じ行動、思考、目標を達成するべきである。
阿頼耶識世界に起因する美点を否定してはならぬ。幸福にはつながらぬ。
阿頼耶識世界の性質に逆らわず人生を生きよ。